ジミー・ヒースがハードバップの形成に、大きく力を
貸していた事は『マイルス・デイヴィスVol.1、Vol.2』や
『ジ・エミネント・J.J.ジョンソン Vol.1、Vol.2』を
聴けばよく分かる(いずれもブルーノート)。
ただ好事魔多しと言うべきか1953年にジミー・ヒースは
“ヤク”の問題でジャズ・シーンから姿を消してしまう。
1959年にようやくジャズ界に戻ってくるのだが、その間に
尊敬するパーカー(※1)や盟友ブラウニー(※2)は逝き
少年時代からの練習仲間であったジョン・コルトレーンは
次代を担うホープとして大きな注目を集めていた。
復帰したジミー・ヒースはリヴァーサイドに迎えられ、空白を取り戻すべく
積極的にレコーディングを行うかたわら、作編曲家としても同社の倒産まで
重責を果たしていく事になる。
本アルバムはジミー・ヒースの復活を告げる“遅すぎた初リーダー作”である。
兄のパーシー、弟のアルバートもしっかりと脇を固め、ジミー・ヒースはプレイに
ペンに溢れるほどの才能を示す。
ワン・ホーン・カルテットの演奏をもうちょっと聴きたかった気もするが
『ザ・クオータ』(61年)、『オン・ザ・トレイル』(63年? )と続く
快進撃の端緒となった充実のハードバップ作品だ。
ザ・サンパー
ザ・サンパー ジャズアルバム紹介 に加筆・修正を加え転載。
(※1)パーカー:チャーリー・パーカーのこと。
(※2)ブラウニー:クリフォード・ブラウンのこと。
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